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 TGフリーウエイト
ベンチプレスランキング


1998年のジムオープン時からの記録です!

宮崎県延岡市(令和6年3月1日現在. 人口: 112,769)の小さな町の
小さなジムですが、ベンチプレス記録は公式試合も含めて、皆さん
本当に凄いなあと思います。

 ベンチプレス世界記録・アジア記録
トレーニングジムフリーウエイト選手
2024年4月現在、83㎏級MⅢノーギアベンチプレス世界記録保持中

83㎏級MⅢノーギアベンチプレス世界記録  163㎏ 猪須 純一  IPFホームページ記載
83㎏級MⅢノーギアベンチプレスアジア記録 163㎏ 猪須 純一 APFホームページ記載


APFホームページ 2024年4月現在

世界記録・アジア記録についての解説

世界記録
世界選手権又は欧州選手権・アジア大会等の国際大会で新記録を樹立した場合、IPFはその記録を世界
記録として認定します。(JPAが主催する日本国内の全国大会やブロック大会での記録は日本記録として
認定されますが、世界・アジア記録としては認められません。)

アジア記録
アジア大会又は世界選手権で新記録を樹立した場合、APFはその記録をアジア記録として認定すること
になっています。

※ IPF   国際パワーリフティング連盟
  APF  アジアパワーリフティング連盟
  JPA   日本パワーリフティング協会

 ジムの設備を紹介する動画です!


2022年4月より、定休日が木曜日から日曜日へと
変わりました。

 
2024年第25回
宮崎県パワーリフティング&ベンチプレス選手権大会
 
ベンチプレスの坂本勝典選手とアームレスリングの
岩永さん
 
この試合の大会アナウンスは岩永さんが担当
隣にはべンチプレスフルギア、MⅢ66㎏級世界
記録保持者の矢野さん
トレーニングジムフリーウエイト

2024年4月6日、宮崎市と小林市から二人の選手
が出稽古にやって来ました!
 第25回宮崎県パワーリフティング&
ベンチプレス選手権大会(初めて試合に参加)

女子47㎏級ノーギアパワーリフティングに出場、
べンチプレスは45㎏でした。
 
74㎏級ノーギアベンチプレスに出場、140㎏挙上
で2位にランク!
 
左端の方は2017年ノーギアアジアベンチプレス大会
83㎏級MⅢで優勝を果たした南正覚選手で、元アジ
ア記録保持者です!

右端の方は2019年世界ベンチプレスノーギア大
会83㎏級MⅡ3位の坂本選手です!

右から2番目の方は、全日本実業団ベンチプレス
選手権83㎏級優勝経験のある黒木さんです。
 
宮崎県記録更新が沢山出ました!

ノンスリップシートでグリップ感抜群!
(但し、このシートの価格は高いです。)

滑らないシートを用いることで背中や臀部がしっ
かりホールドできれば、より安全なベンチプレスに
取り組むことが出来ます。

長さ:1,450㎜(280㎜+1,170㎜)  幅:310㎜ 
高さ:床から440㎜  窮屈な短いシートではなく、
余裕のある長さのシートです。

セーフティーバーは頑丈で、素早く高さ調整を行
うことが出来ます。

 
 
  
 ジムの前身、延岡バーベルクラブ時代(30年以上前)から
活用しているベンチプレス用の重量換算表です。1990年代に
パワーウス吉田進さんが考案された計算方法から作ったもの
です。

 この表を元に師匠の故富永義信先生の教えで、ベンチプ
スを5回を目標に挙げることのできる重量をメインに5セット、
アップも含めると12~15セットと多くの回数を週2回のペー
スでこなしていました。

 ベンチプレスは強くはなったのですが、疲れると高重量低
回数になることもあり、体の回復に時間がかかってしまうこ
とが多く、その結果、練習のスケジュールを組むことが難し
くよく肩を傷めていました。

その後、
 富永先生に相談をして、1セット5回挙げることができる重
量から7回挙げることのできる重量に変更しました。6回を挙
げれる重量、(MAXの約85%)をメインに5セット以上、アッ
プも含めて最低12セットと決め、現在に至ってます。
(アップの重量は20㎏からスタート)

富永義信先生

富永先生に誘われて参加を決め
たベンチプレス大会

58歳で全日本ベンチプレス一般
67.5㎏級の優勝を果たした方です。
べンチプレス67.5㎏級の元世界チ
ャンピンで、国内の試合では20年
以上負けたことがない選手です。 
職業は税理士事務所経営
著書に
人生苦あれば楽あり ある税理士のパワーリフティング健康法を出版

遠い昔のことです!
35年前には、ベンチプレスレピュテーション競技というものが
ありました!


当時フルギアは無く全てノーギア大会です。
余談ですが、私は国鉄改革で国鉄職員からJR社員になって
間もない大変な時期でした。
昔のベンチプレス競技は楽しかった!!

ほとんどの方は知らないと思いますが、35年位前には
ベンチプレスのレピュテーション(未公認種目)というものがあ
りました。

自分の体重のバーベル(2.5kg単位で切り上げ)を続けて何回
挙げることが出来るかという競技です。

※ バーベルを挙げる際、腕はしっかり伸ばす。(腕が曲がっていた
  ら回数はカウントされない)

  バーベルを下ろしたとき、シャフトは胸に触れなければならない。

  臀部はシートから浮かしてはいけないという条件です。


個人的に魅力が無くなってしまったベンチプレス競技ですが、
ベンチプレス競技はもっと楽しくやることが出来るはずだと思
っています。
    
ベンチプレスにはいろんなやり方があります!

1986年4月24日
自分の体重でベンチプレスを30分間に何回やれることができるのかを
地元の新聞記者立ち合いの下で挑戦したことがあります。

当時の私はベンチプレスが楽しくてしょうがなく、それを教えてくれたのが私の師匠、延岡トレ
ーニングクラブの寿崎先生でした。

この企画は延岡トレーニングクラブと地元の新聞社が考えたものですが、こんな楽しみ方もあ
りだと思います。                              2020年5月8日
私のライバル 井本全保選手 
 井本選手は強かった!
過去に宮崎県から全日本ベンチプレス選手権大会(一般)で優勝した選手は
矢野秀幸・井本全保・猪須純一の3名しかいません。
(他に、第8回全日本ベンチプレス選手権で現宮崎県パワーリフティング協会の
村上理事長が一般3位、その後MⅠでも3位という結果を残しています。)

3人は個人的なトレーニング仲間でもあり、宮崎県の延岡という片田舎から、
それぞれが日本一を目指して全日本ベンチプレス選手権に挑戦をしていま
した。

当時を振り返ると、地元の新聞社が大きく記事を掲載してくれたので、みん
なでカッコいいことをやっていたなという想いがあります。

地元のローカルテレビもスポーツニュースで取り上げていました。

 私の全日本ベンチプレス選手権大会!
1991年 第2回 Nギア 高松開催   82.5kg級  175.0kg挙上 優勝
1992年 第3回 Nギア 浜松開催 82.5kg級 172.0kg挙上 3位
 1993年 第4回 Fギア 東京開催 82.5kg級 175.0kg挙上 4位
 1994年 第5回 Fギア 東京開催 82.5kg級 185.0kg挙上 2位
  1995年 第6回 Fギア 沖縄開催 90kg級 202.5kg挙上  3位
 1997年 第8回 Fギア 防府開催 75kg級 180.0kg挙上 2位
 1999年 第11回 Fギア 岡崎開催 90kg級 212.5kg挙上 2位
1990年 第1回東京開催にも出場しましたが、失格しました。

75kg級で第1回目の試技160㎏挙上、白1赤2・第2回目160㎏挙上、白1赤2・第3回目160㎏挙上、白1赤2・・・優勝者
の記録155kg

170kgまでは成功させる自信があったのですが結局失格です。

この判定は33年経った今でも納得出来ない判定として心に残っています。ビデオも撮影していましたが、何度見ても
納得できませんでした。

第2回大会は75kg級で出場するとまた同じことになるのではないかと考え、82.5kgへと階級を変更しました。

全日本ベンチプレス選手権大会は合計8回出場しましたが力不足の為、優勝は1回しかできませんでした。

 1996年4月28日 第8回全九州ベンチプレス選手権大会
延岡市大武体育    









FUJICA GM670 Professional ブロニーサイズの富士フイルム67判カメラで撮影
 
1999年7月31日

祭り延岡で行われた一般市民のベンチプレス大会

参加費は無料で飛び込み参加OK、250名以上の方が挑戦され大変盛り上がりました!

ベンチプレス台は、JPA規定に基づいたサイズで製作しています。
1t以上の重さに耐えられる強さがあり、超頑丈です。製作者は猪須













 DIYで作ったベンチプレス台

第2回大分県ベンチプレス選手権大会 
1992年5月10日/大分県立総合体育館


単身赴任で大分県に住んでいた頃、大分パワー愛好会というクラブに所属して
いたことがあります。第2回大分県ベンチプレス選手権大会(ノーギア大会)は、
私が初めて82.5kg級で180kgのベンチプレスを成功した試合です!今から32年
前のことです。

ノーギアからスタートした全日本ベンチプレス選手権大会は、1993年第4回東京
大会からフルギアへと移行し、フルギアの時代が到来です。

その後2000年から、新たにノーギアのオールジャパンベンチプレス選手権大会
(現ジャパンクラシックベンチプレス選手権大会)というものが始まりました。

フルギア大会に嫌気が差していた私は、2001年を最後にフルギアベンチプレス
は止めることにしました。

2001年、新たな気持ちで第2回オールジャパンベンチプレス選手権大会に出場し
た私は、82.5kg級で180kgを挙上し日本記録を塗り替えることが出来ました。

振り返れば、大分大会から約10年と長い歳月が経ち、年齢も46歳となっていまし
た。(因みに、46歳は全階級で一番高年齢での優勝でした。)  


2001年9月2日第2回ジャパンクラシックベンチプレス選手権大会

 ベンチプレス
 これまでに宮崎県から国際大会に出場した選手
   男子     矢野 秀幸  世界選手権・アジア大会 
井本 全保  世界選手権 
猪須 純一  世界選手権・アジア大会 
坂本 勝典  世界選手権 
南正覚 雅士  アジア大会
   女子    富山 春香  世界選手権  
宇都宮 真由     世界選手権   
   男子 高橋 久 ヨーロッパ選手権
シドニーパラリンピック
 60歳代の私が
あるトレーニングを取り入れたところ、身長が2㎝伸びた!



2年前までは、私も年をとり随分と身長が縮んでしまい、170㎝位の人の身長を
高く感じるようになっていました。

ところが、ベンチプレスの補助運動として、あるトレーニングを取り入れたところ、
1年くらいで2㎝も身長が伸び固定化しました。


今では170㎝の人の背を高く感じません。
近いうちにそのトレーニング方を解説を交えて具体的に説明したいと思います。




 テレビ番組の収録がありました!
   
 侍 ジェイミー・ハバードさん
Mr ボビーのベンチプレスは強かった!
2020年2月18日、宮崎のテレビ局のよかばん!!という番組で、ボビーVS65歳猪須
ベンチプレスの真剣勝負というものをやりました。

山中で薪割りをやって、その後疲れた体でどちらがベンチプレスが強いか、とこ
とん対決をするというものです。

結局、お互い160kgまで挙げて最後の165㎏は失敗ということで終わりましたが、
本格的なベンチプレスの練習をしていないはずのボビーが、人生初と云いなが
ら160kgを挙げてしまいました。

以前、格闘技で活躍していた姿を知っていますが、生で見たこの男の身体能力
は凄いものがあると感じました。

65歳の年寄りを相手に本気で対決してくれたMr ボビーに感謝です!

 
第20回ジャパンクラシックベンチプレス選手権大会
(※カテゴリーマスターズ) 2019年11月30日(土)-12月1日(日)

トレーニングジムフリーウエイトから
MⅢに2名出場しました!


男子83kg級MⅢ 南正覚雅士 142.5kg挙上 2位
男子83kg級MⅢ 猪須純一  150kg挙上 優勝    

試合結果の写真です。写真
 

ジャパンクラシック会場写真
   
このような狭い会場の全国大会は初めての経験でした。

全国大会ともなると大勢の選手やセコンドの方達などが集まります。広さに
ゆとりのある会場でなければ、選手は落ち着いて試合に臨めません。

パンフレットでは2日間で289名の参加です。
試合場もアップ場もかなり狭くトイレには常に順番待ちの選手がいて、
用をたすにも大変な状況でした。

最近ジャパンクラシックベンチプレスの出場選手は増えていますが、毎年
会場か狭くなっているような気がします。

地方協会で個人ジム内開催の公式試合が増えないことを祈るばかりです。

※ウォーミングアップ場にあったベンチプレス台のバーベルラックの高さが試会
で使われたベンチ台と違う。私は8番目の高さで申告をしましたが、同じ8番目の
高さでもアップ場(4台)のものは2~3㎝も高さが違いました。私だけではなく他の
選手の皆さんも混乱していました。

バーベルラックの高さを番号で表示することを止めて、全てのベンチ台を床から
バーベルを載せるラックの実際の高さ(センチメートル)で表せば済むことです。

ラックの数字は刻印を打たれており、技術的な面でセンチメートルへの変更が
出来ないのであれば、数字の高さ(cm)を表した表を作り会場の壁等に掲示す
れば良いと思います。

写真

バーベルラックの高さ表示は番号ではなく、
実際の高さで表示するべきです。

私の場合は92㎝の高さで設定をしています。

※ウォーミングアップ場のベンチプレス台(2台)のシートが斜めになってしまう。
これには驚きました。ラック受けの摩耗も含めてメンテナンスがまるで出来て
いないようで、ベンチ台にも構造上の問題があるようです。


 自作未公認ベンチプレス台の情報
         
 動画



趣味で作ったベンチプレス台


ベンチプレス台は美しく強く安全で、機能性に富んだものを追求しています。

フレームを溶接する際、角の部分はできるだけRを
つけ、見た目がカクカクにならないようにしています。

材料は3.2㎜・4.5㎜をベースにしているので超頑丈
です。

セーフティーバーの長さは500㎜、バーベルシャフ
トまでの最低高さは床から570㎜または580㎜、シー
トからバーベルシャフトまでの高さは130~140㎜
です。

これより低くは設定出来ないようにしています。
こは特に大事なところで、命を守るために絶対に譲
れない安全対策です。


セーフティーバーの高さ調整は2㎝単位で、瞬時に
高さ調整が出来ます。

素早く調整できるセーフティーバー作りに拘ってい
ます。


バーベルラックの高さ調整は1㎝単位と細かく、高
重量のプレートを付けたままでもスムーズに調整出
来ます。

ベンチプレス台は6分割又は7分割と、細かく分解
することが可能です。


フレーム角部分のRについて、
(溶接後の仕上げ) 


予め、母材の接合部分を母材部と同等な品質・
強度を確保するために、L型・V型等に開先を
取り(開先加工)溶接をします。

溶接後は、余盛りで出っ張っている部分を平に
なるまでサンダーで削り、仕上げていきます。

一手間も二手間もかけて美しく頑丈に仕上げま
す。  溶接しっぱなしではありません!
良いベンチプレス台を作る為の条件

①溶接の技術(アーク・半自動・チグ溶接が
  完璧であること)

②サンダー仕上げの技術があること

③旋盤加工ができること

④塗装の知識があること

⑤ウレタンチップの加工(正確な切断やR面
  取り)・ビニールレザー貼りができること

⑥キャドで図面を描くことができ、材料の
  知識(強度や材質等)及び正確な切断や
  曲げ加工を鋼材屋に発注する能力があ
  ることが条件です。

勿論、溶接の資格は必須です!

曲げ加工や局面加工(R加工等)が出来なけ
れば、フレームは既製品の角パイプのみ
を溶接して製作することになります。 

製作者にとっては、材料や製造コストを低
く抑えるためには良いのですが、独創性の
ない在り来たりのベンチプレス台になって
しまいます。

 2019年
世界クラシックベンチプレス選手権大会結果
女子52kg級一般  富山春香 女子オーブンへリンク
女子52kg級ジュニア 宇都宮真由 女子ジュニアへリンク
男子83kg級M3  猪須純一 男子マスターズへリンク
 動画 

2019世界クラシックベンチプレス選手権大会
 
 
 
 動画 
2018・2019年 世界クラシックベンチプレス選手権大会 
フィンランド/日本 83kg級MⅢ優勝争いです。


2018年5月フィンランド バンター 
2018年と2019年の世界クラシックベンチプレス選手権83kg級MⅢの
優勝い動画です。

2018年に続いて2019年も、ドイツのハインリッヒデドリフという強い選手
と2年連続優勝争いとなりました。

現在、60歳代で160kg前後の重量を挙げる選手は、この選手以外他
にはいないので油断できませんでした。

 2019年5月日本 成田
  

 
日本大会
2019年5月18日世界ベンチプレス、クラシック部門男子83kg級MⅢで
世界記録を僅かに更新、頑張れを連呼しているのは応援に来てくれた
3歳になる孫の女の子です!

ベストリフター M3全階級で2位にランクイン (IPFのホームページより)
1位  Mentel Stanislaw   Poland 105kg級  検量99,58㎏  192,5㎏挙上
     ポイント693,7931
2位  Isu Junichi  Japan 83kg級  検量82.65㎏  163kg挙上
     ポイント665,0445
3位  Heinrich Detlef   Germany 83kg級 検量80.35kg  157.5kg挙上
     ポイント655,7021
     3位のHeinrich Detlefは昨年に続き私と優勝争いをしたドイツの選手です。 

表彰式
表彰式のタイミングが分からなかったのか、2位のドイツ選手が不在の為寂
しい表彰式になり、地元のマスコミに表彰式の写真を提供することができま
せんでした。

表彰式は勝者を称えるだけでなく、表彰台の選手全員を輝かせるための
ものでなければならないと思います。

応援してくれた子供と孫達
  
頑張れを連発していたペコちゃん似の孫娘、
大柄で活発に動き回っています。現在5歳
 

   

 

 

 

 


 
 遠い昔の写真

父親(長男)は130kg以上の巨漢です!
体重をどげんかせにゃいかん!

(宮崎県北部では、どんげかせにゃいかん
と言います。) 

小さい頃は可愛かった長男、今では当時の面影は全くなく
なってしまい巨大なオヤジとなりました。
 
幼い長男を連れて、全九州ベンチプレス大会(北九州市
戸畑体育館)に親子二人で出かけていたことを思い出します。
 

 

 

もう一人の孫娘、(いとこ)
生後8ヶ月のとき、明石家さんまさんにテレビ
番組の中で抱っこされたことがあります。

3歳になったばかりの時、ボビーオロゴンにも
抱っこされました。

大食漢で、良くしゃべる超ひょうきんな女の子
です。 
  

この子もベンチプレスの真似をして応援
してくれました。
 
   
ふたりとも体が柔らかい!
2021年8月、2年振り3回目の対面を果たした いとこ
普段は遠く離れて暮らしています。

久し振り親の実家に帰り、3日間食事も風呂も一緒に入り仲良く楽しく過ごしました。
コロナは恐ろしいですが、国が感染爆発のリスクを犯し大運動会で世界中から多くの人を集めているので、
自身の判断で安心安全な帰省に向けて全力で取り組んだ帰省です。(車を使用)
 記録認定証

 2019年世界クラシックべンチプレス 
日本開催
162.5kg→163kg

2024年4月現在世界記録MⅢ


 2019年世界クラシックべンチプレス 
日本開催
162.5kg→163kg

2024年4月現在アジア記録MⅢ
 
 JPAから郵送されて来たもの

 2018年世界クラシックべンチプレス 
フィンランド開催
148.5kg→162.5㎏世界記録MⅢ
JPAから郵送されて来たもの

 2018年世界クラシックべンチプレス 
フィンランド開催
131kg→162.5kgアジア記録MⅢ
 JPAから郵送されて来たもの

 2018年世界クラシックべンチプレス 
フィンランド開催
?kg→162.5kg  アジア記録
MⅡ
この時は50歳代のアジア記録も更新していたようで
MⅡの記録認定証も頂きました!
 
2014年 
第15回ジャパンクラシックベンチ
つくば市開催
152.5kg→165kg

2019年1月29日 
第19回ジャパンクラシックベンチ
堺市開催
165kg→166kg

5年振りに記録を更新することが出来ました。
2021年3月28日
第21回ジャパンクラシックベンチ
牛島選手170㎏で日本新記録です。
2019年宮崎県パワー&ベンチプレス選手権大会
動画



トレーニングジムフリーウエイト所属選手の結果です!
女子57kg級 富山    95㎏挙上    1位
男子66kg級 神田  112.5kg挙上    1位
男子74kg級 時任    90㎏挙上    1位
男子83kg級 猪須   165㎏挙上     2位
男子83kg級 南正覚  142.5㎏挙上   3位
男子93kg級 黒木   150㎏挙上    2位
 動画
2019ジャパンクラシックベンチプレス選手権大会
女子57kg級一般 富山


 
 動画
2019ジャパンクラシックベンチプレス選手権大会
男子83kg級 M3 日本新記録 猪須
 
 
  
 

宇都宮  女子52㎏級ジュニア   60kg  2        

富山
   女子57㎏級一般     95kg  2        
(女子全階級87名中 フォーミュラー係数4位)

猪須
  男子83㎏MⅢ     166kg  優勝     
(83㎏級MⅢ 日本新記録  MⅢ全階級フォーミュラー係数
1位 優秀選手賞)

南正覚
 男子83㎏MⅢ     130kg  6

黒木
   男子83㎏MⅠ     150kg

宮崎県の片田舎の小さなジムですが、皆さんよく頑張りすごい結果を残したと思います。 

 
    
 右側の方は、何度も世界チャンピオンになられたミスターベンチプレスこと大谷さんです。

大谷さんは国内の試合では負けたことがない選手で私にとって雲の上の人でした。

写真は1999年第11回全日本ベンチプレス選手権大会(岡崎市)でのショットです。大谷さん
は82.5㎏級で優勝、私は90㎏級で2位でした。20年も時が経つとこんなにも変わるんです
ね、私の頭は無残にも禿げてしまいました!

1997年 山口県防府市で行われた第8回全日本ベンチプレス選手権で、当時負け知らず
の大谷さんの階級、75㎏級に体重を落とし挑戦をしたことがあります。結果は2位でした
が、大差をつけられてこてんこてんにやられてしまいました。あれから22年、再挑戦させ
ていただきました。
 大会前
トレーニングジムフリーウエイトから男子5名、女子2名の選手がエントリーしました。

私(猪須)は減量の失敗を繰り返して、念願の74㎏級で試合に出場することができず、
参加標準記録がとれませんでした。

仕方がないので、今回も83㎏級M3で参加します。自己新記録を目指して頑張りたい
と思います!

宮崎県全体では、10名の選手が参加するようです。


ジムの女子選手 右52㎏級Utsunomiyaと57㎏級の第16回ジャパンクラシックベンチ
プレスの覇者Harukaです。


UtsunomiyaはH29年8月からジムに通い始め、僅か8ヶ月後のH30年4月にベンチプレ
ス宮崎大会に出場しました。


結果は47㎏級で宮崎県の新記録となる52.5㎏を挙上。


入会当時は20㎏のバーベルシャフトを1回挙げるのがやっとのweakuな女性でしたが、
ベンチプレスには大会があり
、頑張って強くなれば世界大会まで道は繋がってい
云う私の言葉を信じて、ハードな練習を積み重ね短期間で50㎏を突破することができ
ました。


Harukaの方はトレーニング外で肩や腰を痛めてしまうアクシデントが続き、思うように
ベンチプレスの練習を行うこと
が出来なかったのですが、試合が近づくに連れて調子
を上げています。今までのフォームは昔の私と同じで、力に頼った
パワーベンチプレス
でしたが、最近、新たに取り入れた補助運動でフォームを劇的に改善することが出来
ています。


私の予想では必ず優勝争いに絡むはずなので、女子57㎏級は面白くなると思います。
(現在オリジナルの新たな補助運動用の
専門器具を2種類製作中です。)

  動画
2018年世界クラシックベンチプレス 
フィンランド

 
2回目の試技世界記録162.5㎏
   
   
 
83㎏級 M3 試合結果  PDFファイル

1回目の試技はお互いに世界記録148.5㎏を大きく上回わる157.5㎏からスタートし、
共に成功、体重は私の方が
900g重いので、最終結果が 同重量では私の負けとな
ります。
 

2回目の試技では、ハインリッヒデドリフが160㎏で申告したので、私はその上を狙い
162.5㎏を申告、結果はお互いに成功、ここで私が 一歩リードした。この時、私の結
果を見たドイツの二人
選手とのセコンド二人が興奮して騒いでいた。

3回目の試技は2回目に157.5㎏を成功させたポーランドの選手が163㎏を申告、勝
負を賭けてきたが、この選手には
163㎏は挙がらない重量 だと確信していたので大
丈夫だと判断していた。

最後にハインリッヒデドリフが
165㎏を申告し逆転を狙ってきたが、事前に可能な限り
エン
トリー選手全員のここ数年の記録データを調べていたので、デドリフの165㎏
失敗するのだろうと思っていた。

やはり私の思った通り
165㎏ は潰れてしまいここで勝負は決まった。私は自己の日本
記録
165㎏更新を考え165.5㎏申告していたが試技に緊張感が無くなり、おまけに痛め
ている右肩の不安が頭をよぎり、もう少しのところでフィニッシュできず失敗、不甲
斐ない結果で終わってしまいました。これは今後につ
なげるためのこの大会での大き
な反省点となりました。


何はともあれ優勝することができ世界記録を獲ることがてきました。これは日本選手
団長の鈴木さんから、椎木さんという超一流のセコン
ドをつけていただき的確な判断
の基で冷静に試会を進めることができたからだと思います。また事前にエントリー選手
全員のデータを、ネッ
トで徹底的に調べ分析して各選手の能力を把握することができ
ていたことも大きかったと思います。

試合出発前
いよいよノーギアの世界大会が近づいてきました。今年は世界3ヶ国から男子360名、
女子208名、合計568名の選手がエントリーしています。

私の出場する83㎏級MⅢは最初のノミネートの15名から最終的に9名の選手の参加
に変更されましたが、何れの選手もレベルが高いので驚いています。


世界記録の148.5㎏を上回る選手が4名もエントリーしていて、中には世界記録を大幅に上回る160㎏を挙げ
ている選手もいます。カレンダーイヤー64歳の私にとって厳しい試合となりそうです。

現在、20年以上前に痛めている持病の右肩痛が悪化しているのですが、薬のことが分からないので、病院
にも行かずに痛みに耐えながら練習を繰り返している状態です。

肩の痛みさえ我慢できれば、調子は悪くても世界のトップクラスと互角に戦えるのではないかという気持ち
はあるので、可能性に賭けたいと思います。私の予想する今回の優勝ラインは162.5~165㎏くらいになるの
かなと考えています。

長いベンチプレス競技の中で、私にとってノーギアベンチプレスの全盛時代は現在の階級83㎏に近い82.5㎏
級(当時75・82.5・90㎏級で出場していた。)では1991~2001年までの間でした。当時は170㎏~180㎏を挙げ
ることができ、全国大会にもよく出場していました。年齢的には30代から40代の間がピークで20年ほど前の
ことになります。

ここ数年、真剣に考えながら取り組んでいる私のテーマがあります。60代の私が、83㎏級で20年以上前の
自分のピーク時代に近いノーギアベンチプレスで170㎏を目指すということです。今年で64歳になります
が、残念ながら未だに実現出来ないままです。恐らく肉体的な衰えのため、体力にかげりが見え始めたの
だと思います。自分にとっては、もはや不可能ことなのかも知れませんが、世界大会に向けてもう少し努
力をしてみたいと思います。   猪須


2018年 宮崎県パワー&ベンチプレス選手権大会PDFファイル


大会を振り返って(選手登録費が2倍になった!)
今年の宮崎県大会は参加選手が激減してしまいました。

ベンチプレスとパワーリフティング選手の合計が昨年の34名から23名へと減り、
パ ワーリフティングに至っては2名の参加しかありませんでした。


原因は開催日時等も考えられますが、地方の大会なのに参加するための費用
が高過ぎるということです。多くの選手は1年間を通して県大会のみの参加で終
りますが、試合に参加するためには個人参加の選手が14,500円、ジム所属選手
でも9,500円もお金が必要となります。


これでは、これから競技を始めようという方々が大会参加をためらってしまい断念
されても仕方がないことだと思います。


19年間大会を見守ってきましたが、大会へ参加するための登録費や参加費が
えらく高くなってしまったなあという思いでいっぱいです。

 
試合締切りまでに7名の方から大会に参加したいという問い合わせが私のジムに
ありましたが、参加費用を伝えたところ、いずれもキャンセルしてしまいました。


中には、宮崎市内のジムでトレーニングをされている方で、ぜひベンチプレスの大会
に出場してみたいという若い女性もいましたが、費用の面で断念しています。


結果的に、宮崎大会は選手が少ないことから、殆んどの選手がメダルを受け取ることが
出来る競技性のない大会となってしまいました。

 
因みに、県大会レベルの他のスポーツでは、参加した選手のほぼ全員がメダルをもらう
ことの出来る競技はありません。


以前はこんな方達もいました


10年以上も前から大分県の北部から4~5名、60代を中心とする方々が毎年オープンの部
に個人で参加されていました。


年金で生活をされている方もいますが、その方たちが口癖のように言っていた言葉を思い
出します。


「宮崎大会に出場することを目標に、1年間みんなで一生懸命トレーニングで汗を流して
自分の記録に挑戦することを生きがいにしています。」


200㎞も遠く離れたところから遥々と延岡市までやってきて、試合で精いっぱい頑張り
達成感を感じながら、また来年もお願いしますと言い残して帰って行く姿が
目に浮かびます。

しかし昨年からその姿はなく今年もエントリー表には一人の名前もありませんでした。なんだか
寂しく悲しい気持ちになるのは私だけでしょうか。


ベンチプレスのトレーニングをしている方は沢山います。試合に興味を持っている方もそこそこ
いますが、費用の面でなかなか参加できない現実があります。


本来マイナーなスポーツということを考慮するならば、大会参加の敷居は低くしなければなりません。


気軽に参加できる環境をつくって選手を増やし、競技性のあるスポーツとして繁栄させなければ、
明るいパワーリフティングの未来は見えてこないといえるので
はないでしょうか!  
 第16回 
ジャパンクラシックベンチプレス選手権 高知


2016年3月12.13日
 動画

春ちゃん全国大会を初出場で優勝しました。記録は92.5㎏、
日本記録の100.5㎏は失敗!

南正覚雅士  83㎏級  120㎏ MⅢ2位
  猪須純一    83㎏級  150㎏ MⅢ優勝 
 
 2015年宮崎県パワー&ベンチプレス選手権大会

 師匠の上野さんと2ショット
 
大会の手伝いに来てくれた
アームレスリングヘビー級の岩永さん
 
 春ちゃんは2013年まで仕事の修行で大分市内に住んでいましたが、その間、体力をつけむる為に
県総合体育館でトレーニングに励んでいました。そこでベンチプレスを一から教えたのが大分市在住の
上野さんでした。

当時の春ちゃんは、練習で最高95㎏まで挙げるようになっていました。単身赴任中の私は、上野さんと
練習をする為にこの体育館に時々通っていましたので、その強さはよく知っていました。

上野さんから、春ちゃんが仕事の修行が終了し宮崎の実家に帰ったら、その時は私のジムで続きを
お願いしますと頼まれていましたので、日本一を目指してもう少し頑張ってもいたいと思っています。
 
 
2015年
福岡県・大分県の皆さんとジムで合同練習後オジサン達に囲まれた春ちゃん!
誤解するといけませんので、少し解説をします。私が無理にあぐらを組ませました! 
 昔の写真コーナー
ジムの代表  嫁に無許可で昔の写真を掲載!
 
     


家族みんなで大事にしていたバ
ーニーズマウンテンドッグ(雌)で
すが、散歩の途中4歳で交通事故
に遭い死んでしまいました。
昔はポインターやポメラニアンも
飼ったことがありましたが、この
犬が最後です。
 
41年前
 
20歳を過ぎた頃撮影、当時の身長は170㎝で体重は51kgでした。40年後の身長167㎝、体重は不明
時が経ち随分と変わりました。私も頭の回りを中心に、大きく変わってしまいました。
自作ですが、((+_+))これが昔の器具です! 
 









昔は知名度の低かったベンチプレス、それでもベンチプレスが強くなること
だけを考えていた!
ベンチプレスで重い重量を挙げることが出来れ
ば、体の見てくれはどうでも良かった。


上半身のトレーニングはベンチプレスしかやらな
かった!
ベンチプレス
ジムに通い始めた2日目95kg、3週間後120kg、3ヶ月後140kg、半年後155kg、
ここから1年位伸びなくなってしまった!

3年でジム通いを止め、その頃知り合っていた全国大会を目指しているベンチプレ
ッサー仲間(皆ベンチプレス台を所有していた。)と持ち回りでトレーニングを開始
した。

その後、メンバーの中の3人、矢野・井本・猪須(所属はバラバラ)が、全日本ベン
チプレス選手権一般で優勝することができました。みんな頭の中では,それぞれ
が日本一になることを夢見ていて、キチガイのようにトレーニングをやっていま
した。

サプリ
試合前のクレアチン以外のサプリは殆んど摂取しないことに拘っています。
バランスの良い食事を摂れば十分だという考え方です。
  
 
1999年7月31日、祭り延岡で行われた一
般市民のベンチプレス大会シーンです。

飛び込み参加OKで250名以上の方が挑
戦して大変盛り上がりました。(参加費は
無料)

因みにベンチ台は私の手作りで、超頑丈
に製作しております!
 自作ベンチプレス台

ベンチプレス台は
 強ければ強いほどいい!


シートの長さ1,420㎜
幅は280㎜・300㎜・320㎜(交換可)

シートの高さを調整することが出来ました。

4本の自作アジャスターで、床より400㎜~
450㎜
の高さで調整可能!
ンチプレスの試合に出場するた
めに、ここまでやりました

あくまでも趣味です。

1988年に製作のバーベルプレート元型


50㎜シャフト用に作った元型、これに砂の鋳型(い
がた)を作り溶かした金属を流し込む。


複製したプレートの仕上げは、誤差が±0になるよ
う秤を使って旋盤で削りながら自分で重さを調整し
ていた。

内径は50.8㎜です!

鋳造は業者に依頼し後は全て自作で、合計500kgく
らいは作ったと思います。(20kgプレートも作ってい
ました。)
 
何度かの塗装の上塗りで、文字の精度が悪くなってし
まいました。

現在、金属丸出しのプレートはジムには不向きなの
で、ほぼ全て処分してしまいました。

ベンチプレスの試合を目標にしていたので、ど
うしても誤差のない正確なプレートが必要でした。

昔の50㎜口径プレートの値段は28㎜口径のプレ
ートの2倍以上もかかったので、それならば自分
専用のプレートを安くで作ればいいじゃないかと
考え、1㎏単価¥250で大量に作ってしまいまし
た。

作ったプレートは2.5㎏・5㎏・10㎏・20kgの4種
類、約500kgです。

同時期に2,200㎜、20㎏回転式バーベルシャフト
も6本自作しました。べアリングを4個使い重量計
算と微調整リングを左右に打ち込み、重さは±0の
制度です。

材料はS45C炭素鋼鋼材で強烈なローレット加工
を施しユニクロームメッキ仕上げです。

恐らく、自分専用のプレートとシャフトとベンチ
プレス台を自作した選手はいないと思います。
 

82.5㎏級 175kg挙上優勝 (3回目180kg
失敗)

第2回全日本ベンチプレス選手権大会 
高松開催、第3回までノーギア大会でし
た。

1993年第4回の東京開催からフルギアが
始まりました。
 

1994年第5回全日本ベンチプレス選手権大会後に写真撮影をお
願いしたところ、快く受けていただきました。1980・1986
JBBFミスター日本、2位7回他、国際大会で活躍されたボディ
ビルダーの朝生さんです。超一流のボディビル選手ですが、パワ
ーリフティング・ベンチプレスの全国大会にも参加をされていました。

私の記憶では、全日本ベンチプレス選手権の前身オールジャパン
オープンベンチプレス大会(パワーハウス吉田氏主宰)82.5㎏級で
何度も優勝しその後、全日本ベンチプレス選手権大会にも挑戦さ
れていました。

2015年9月、私のトレーニング先輩伊東氏の紹介により、3人で北
九州市の小倉で会食をする予定でしたが、知人の不幸の為、私が
北九州に行くことが出来なくなり、直前にキャンセルをしてしまい申
し訳なく思っています。ボディビルを極めた一流選手の、昔と今の話
を聞くことが出来る大事な機会でしたので非常に残念でした。

国際大会
1982年アジアボディビルディング選手権男子85kg以下級優勝、
1997年アジア・ミックスド・ペアボディビル選手権で優勝、1997年
アジアボディビルディング選手権男子マスターズ優勝、1999年アジア
ボディビルディング選手権男子マスターズ70kg超級優勝、2002年
アジア・マスターズボディビル選手権優勝。

     
アンドレザジャイアントのマネージャー“将軍KYワカマツ”こと若松 市政さん
が家に遊びに来てくれました。

新日本プロレスでめちゃくちゃに大暴れしている頃の若松さんです。非常に
真面目でやさしい方です。  1990年7月
     
岩崎先生の試合を初めて見たのは1989年、第3回アジアカップ(高松)が初めてでした。
75㎏級の軽量の私にとって、ヘビー級の金城選手や小出選手とともに、もの凄いインパ
クトがあり、スケールの違いに驚きました。

その後、全日本クラスの試合で日本記録を塗り替えた後の3回目の<em>パフォーマンス
試技で、会場を沸かせていた様子が目に浮かびます。
 
師匠の故富永先生です。
 べンチプレス67.5㎏級の元世界チャンピオンです
。国内の試合では20年以上負けたことがない選手
でした。


58歳の最高齢で全日本ベンチプレス67.5㎏級の優
勝を果たした方です。ベンチプレスを強くするには、
基本的に高重量をたくさん扱うことで、具体的には
1セット5回がやっと挙げられる重量をとことんやりこ
んで下さいと教えられました。


仕事は税理士事務所を開設していて、当時の全日
本選手権は3月に行われていましたので、多忙の中
で試合に出場されていました。


先生の教えは、忙しいからと逃げたら駄目です。忙し
い時ほど練習をしてください。力と技術は普段の練習
でつくり、忙しい時は精神面を鍛える絶好のチャンスと
思って、トレーニングに取り組んで下さいと教えられま
した。


他にもたくさん教わったことがありますので、機会を
つくり少しずつ紹介したいと思います。


1991年9月1日 富永先生に誘われて、第1回日本マ
スターズオープンベンチに福島県いわき市まで宮崎県
から遥々と出かけて行ったことがあります。


この大会にも岩崎先生が出場していまして、派手なベン
チプレスで会場を盛り上げていした。


大会後のアトラクションで、主催者の大谷会長から岩
崎先生と私にベンチプレス120㎏を続けて何回やれる
か挑戦して下さいと指名があり、試合後の疲れた体で
私が17回、岩崎先生が48回ほど挙げた記憶がありま
す。


当初は岩崎先生が140㎏、私が120㎏で挑戦の指名で
したが、私の挑戦が終わった後に岩崎先生が強引に
120㎏に変更を要求して、同重量の挑戦となりました。

富永先生の教えを基本にジムでは強くなりたい人に
限って、ベンチプレスは7回を目標に5~6回挙げられ
る重量を5セット、トータル12セット以上、(20㎏のアッ
プからスタートしたものも含めて)の練習を勧めてい
ます。


結果として、延岡の田舎の小さなジムでも、22年間に
92名の方がしっかりとしたフォームで100㎏以上挙げ
ることができました。
 
初対面は1989年第3回アジアカップの
ときです。
 
金城選手
1989年第3回アジアカップオープンベンチプレス
選手権大会110㎏級で現在のノーギアベンチプ
レス235㎏挙上。
特別試技240㎏は中尾先生の指名を受けての
挑戦でしたが、惜しくも失敗でした。
 
金城選手は全身が分厚い筋肉で、バランスが
取れた頑丈な体の持ち主でした。 

ベンチプレスはあまりブリッジをしない方で、胸
の中部から上部の間に下ろし確実に胸に止め
ていました。

挙上距離もありましたので、大胸筋と肩を使っ
た力ベンチだと私なりに分析をしました。

金城選手のベンチプレスを目の当たりにした私
は、このフォームを研究すれば、重い重量を挙
げることができると勝手に思い込み、ブリッジに
興味を持たずにひたすら肩を強化することに専
念しました。

結果的に肩の強化が功を奏して素質の無い私
にとっても、そこそこの重量を挙げることができ
たと思います。(試合後、肩と上腕三頭筋を強化
する為にべアリング入り28㎜径大型フレンチプレ
スバーを製作しました。

現在ジムで使用中のバーは、その後フリーウェ
イト顧問の上野さんから頂いた50㎜Φのハガネ
を用いて、超大型フレンチプレスバーへと進化さ
せたものです。


回転式50㎜径超大型フレンチプレスバー20㎏
です。

ベンチプレスのブリッジについて 
ブリッジを作るということは、バーベルを下ろ
した時にバーが身体に早く触れるため、扱う
重量が重くできるということにつながりますの
で、多くの方がブリッジフォームを研究し競技
力向上に向けて実践しているようですが、私の
考えは、そんなにブリッジをしなくても肩と胸を
強化すれば、ある程度の重量は持てると確信
していますので、私はブリッジの少ないフォー
ムでトレーニングを行い試合に出場してきまし
た。