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フリーウェイトは初心者からアスリートまでトレーニングできるジムです。

電話でのお問い合わせは0982-21-5606

    


1998年のジムオープン時からの記録です!
宮崎県延岡市(令和6年3月1日現在. 人口: 112,769)の小さな町の小さなジムですが、ベンチプレス記録は公式試合も含めて、皆さん本当に凄いなあと思います。
 ジムの設備を紹介する動画です!

https://www.youtube.com/watch?v=L3mv6f99Krk&t=
2022年4月より、定休日が木曜日から日曜日へと変わりました。
 トレーニングジムフリーウエイト
2024年4月6日、宮崎市と小林市から二人の選手が出稽古
にやって来ました!
 第25回宮崎県パワーリフティング&ベンチプレス選手権大会(初めて試合に参加)
女子47㎏級ノーギアパワーリフティングに出場、べンチプレスは45㎏でした。
 
74㎏級ノーギアベンチプレスに出場、140㎏挙上で2位にランク!
 
2024年
第25回宮崎県パワーリフティング&ベンチプレス選手権大会

 
ベンチプレスの坂本勝典選手とアームレスリングの岩永さん
 
この試合の大会アナウンスは岩永さんが担当
隣にはべンチプレスフルギア、MⅢ66㎏級世界記録保持者
の矢野さん!
!!!
 

  左端の方は2017年ノーギアアジアベンチプレス大会83㎏級MⅢで優勝を果たした
南正覚雅士選手で、元アジア記録保持者です!
右端の方は2019年世界ベンチプレスノーギア大会83㎏級MⅡ3位の坂本勝典選手です!
右から2番目の方は、全日本実業団ベンチプレス選手権83㎏級優勝経験のある黒木
孝二選手です。
 

宮崎県記録更新が沢山出ました!
ノンスリップシートでグリップ感抜群!(但し、このシートの価格は高いです。)
滑らないシートを用いることで背中や臀部がしっかりホールドできれば、より安全なベンチプレスに取り組
むことが出来ます。
長さ:1,450㎜(280㎜+1,170㎜) 幅:310㎜ 高さ:床から440㎜  窮屈な短いシートではなく、余裕の
ある長さのシートです。
セーフティーバーは頑丈で、
素早く高さ調整を行うことが出来ます。
宮崎大会では安全を第一と考えていますので、セーフティーバーは必ず選手の申告高さに調整します。
 

トレーニングジムフリーウエイトの選手
2024年4月現在、83㎏級MⅢノーギアベンチプレス世界記録保持中
83㎏級MⅢノーギアベンチプレス世界記録   163㎏   猪須 純一   IPFホームページ記載( Classic  Mastere 3  )
83㎏級MⅢノーギアベンチプレスアジア記録  163㎏   猪須 純一   APFホームぺージ記載(ASIAN MASTERS 3 MEN'S CLASSIC RECORDS)

  
IPF・APFホームページ 2024年4月現在

世界記録・アジア記録についての解説
世界記録
世界選手権又は欧州選手権・アジア大会等の国際大会で新記録を樹立した場合、IPFはその記録を世界記録として認定します。
(JPAでは日本国内の全国大会やブロック大会での記録は日本記録として認定されますが、世界・アジア記録としては認められません。)
アジア記録
アジア大会又は世界選手権で新記録を樹立した場合、APFはアジア記録として認定することになっています。
※ IPF   国際パワーリフティング連盟
  APF  アジアパワーリフティング連盟
  JPA  日本パワーリフティング協会



世界記録・アジア記録についての解説
世界記録
世界選手権又は欧州選手権・アジア大会等の国際大会で新記録を樹立した場合、IPFはその記録を世界記録として認定します。
(JPAでは日本国内の全国大会やブロック大会での記録は日本記録として認定されますが、世界・アジア記録としては認められません。)
アジア記録
アジア大会又は世界選手権で新記録を樹立した場合、APFはアジア記録として認定することになっています。
※ IPF   国際パワーリフティング連盟
  APF  アジアパワーリフティング連盟
  JPA  日本パワーリフティング協会

 



 ジムの前身、延岡バーベルクラブ時代(30年以上前)から活用しているベンチプレス用の重量換算表です。1990年代にパワーハウス吉田進さんが考案された計算方法から作ったものです。

 この表を参考にして師匠の故富永義信先生の教えで、ベンチプレスを1セット5回がやっと挙げられる重量をメインに5セット、アップも含めると12~15セットと多くの回数を週2回のペースでこなしていました。

 ベンチプレスは強くはなったのですが、疲れると高重量低回数になることもあり、体の回復に時間がかかってしまうことが多く、その結果、練習のスケジュールを組むことが難しく、よく肩を傷めていました。

その後、
 富永先生に相談をして、1セット5回挙げることができる重量から7回挙げることのできる重量に変更しました。6回を挙げれる重量、(MAXの約85%)をメインに5セット以上、アップも含めて最低12セットと決め、現在に至ってます。(アップの重量は20㎏からスタート)
  
富永義信先生




 富永先生に誘われて参加を決めたベンチプレス大会

 58歳で全日本ベンチプレス一般67.5㎏級の優勝を果たした方です。
べンチプレス67.5㎏級の元世界チャンピオンで、国内の試合では20年以上負けたことがない選手です。 職業は税理士事務所経営
著書に
人生苦あれば楽あり ある税理士のパワーリフティング健康法を出版

 遠い昔のことです!
35年前にはベンチプレスレピュテーション競技というものがありました。


当時フルギアは無く全てノーギア大会です。
余談ですが、私は国鉄改革で国鉄職員からJR社員になって間もない大変な時期でした。

昔のベンチプレス競技は楽しかつた!!

ほとんどの方は知らないと思いますが、35年位前にはベンチプレスのレピュテーション(未公認種目)というものがありました。
自分の体重のバーベルを(2.5kg単位で切り上げ)続けて何回挙げることが出来るかという競技です。

※バーベルを挙げる際、腕はしっかり伸ばす。(腕が曲がっていたら回数はカウントされない。)
 
 バーベルを下ろしたとき、シャフトは胸に触れなければならない。    

 臀部はシートから浮かしてはいけないという条件です。
 

個人的に魅力が無くなってしまったベンチプレス競技ですが、ベンチプレス競技はもっと楽しくやることが出来るはずだと思って
います。
 
 
 ベンチプレスには色んなやり方があります!
1986年4月24日
自分の体重でベンチプレスを30分間で何回出来るのかを、地元の新聞記者立ち合いの下で挑戦したことがあります。
当時の私はベンチプレスが楽しくてしょうがなく、それを教えてくれたのが私の師匠、延岡トレーニングクラブの寿崎先生でした。
この企画は延岡トレーニングクラブと地元の新聞社が考えたものですが、こんな楽しみ方もありだと思います。
  
                                                         2020年5月8日
私のライバル井本全保選手
 
 井本選手は強かった!

過去、宮崎県から全日本ベンチプレス選手権大会(一般)で優勝した選手は
矢野秀幸・井本全保・猪須純一の3名しかいません。
(他に、第8回全日本ベンチプレス選手権で現宮崎県パワーリフティング協会の村上理事長が
一般3位、その後MⅠでも3位という結果を残しています。)

3人は個人的なトレーニング仲間でもあり、宮崎県の延岡という片田舎から、それぞれが
日本一を目指して全日本ベンチプレス選手権に挑戦をしていました。

当時から地元の新聞社が大きく記事を掲載してくれたので、みんなでカッコいいことをやってい
たなという想いがあります。

地元のローカルテレビもスポーツニュースで取り上げていました。



私の全日本ベンチプレス選手権大会!

 1991年 第2回 ノーギア  高松開催  82.5kg級  175.0kg挙上  優勝
 1992年 第3回  ノーギア  浜松開催  82.5kg級  172.5kg挙上 3位
1993年 第4回  フルギア  東京開催  82.5kg級 175.0kg挙上 4位
 1994年 第5回  フルギア  東京開催  82.5kg級 185.0kg挙上  2位
 1995年  第6回  フルギア  沖縄開催  90kg級 202.5kg挙上 3位
 1997年  第8回  フルギア 防府開催  75kg級  180.0kg挙上  2位
 1999年 第11回 フルギア 岡崎開催 90kg級 212.5kg挙上  2位
1990年 第1回東京開催にも出場しましたが、失格しました。

75kg級で第1回目の試技160㎏挙上、白1赤2・第2回目160㎏挙上、白1赤2・第3回目160㎏挙上、白1赤2・・・優勝者の記録155kg
170kgまでは成功させる自信があったのですが結局失格です。

この判定は33年経った今でも納得出来ない判定として心に残っています。ビデオも撮影していましたが、何度見ても納得できませんでした。

第2回大会は75kg級で出場するとまた同じことになるのではないかと考え、82.5kgへと階級を変更しました。

全日本ベンチプレス選手権大会は合計8回出場しましたが力不足の為、優勝は1回しかできませんでした。

第2回大分県ベンチプレス選手権大会   1992年5月10日/大分県立総合体育館


単身赴任で大分県に住んでいた頃、大分パワー愛好会というクラブに所属していたことがあります。
第2回大分県ベンチプレス選手権大会(ノーギア大会)は、私が初めて82.5kg級で180kgのベンチプレスを成功した試
合です!今から32年前になります。

ノーギアからスタートした全日本ベンチプレス選手権大会は、1993年第4回東京大会からフルギアへと移行し、フルギ
アの時代が到来です。

その後2000年から、新たにノーギアのオールジャパンベンチプレス選手権大会(現ジャパンクラシックベンチプレス
選手権大会)というものが始まりました。フルギア大会に嫌気が差していた私は、2001年を最後にフルギアベンチプ
レスは止めることにしました。

2001年、新たな気持ちで第2回オールジャパンベンチプレス選手権大会に出場した私は、82.5kg級で180kgを挙上
し日本記録を塗り替えることが出来ました。

 振り返れば、大分大会から約10年と長い歳月が経ち、年齢も46歳となっていました。   (因みに、46歳は全階級で
一番高年齢での優勝でした。) 



2001年9月2日 第2回ジャパンクラシックベンチプレス選手権大会

ベンチプレス
これまでに宮崎県から国際大会に出場した選手

     男子 矢野 秀幸  世界選手権・アジア大会
井本 全保  世界選手権
猪須 純一  世界選手権・アジア大会
坂本 勝典  世界選手権
南正覚 雅士 アジア大会
     女子 富山 春香  世界選手権
宇都宮 真由  世界選手権

    男子  高橋 久  ヨーロッパ選手権・シドニーパラリンピック

1996年4月28日 第8回全九州ベンチプレス選手権大会 延岡









FUJICA GM670 Professional (ブロニーサイズの富士フイルム67判カメラで撮影)
 
祭り延岡で行われた一般市民のベンチプレス大会
参加費は無料で飛び込み参加OK、250名以上の方が挑戦され大変盛り上がりました!

ベンチプレス台は、JPA規定に基づいたサイズで製作しています。
1t以上の重さに耐えられる強さがあり、超頑丈です。製作者は猪須

DIYで作ったベンチプレス台
  
 
60歳代の私が
あるトレーニングを取り入れたところ、身長が2㎝伸びた!

 2年前までは、私も年をとり随分と身長が縮んでしまい、170㎝位の人の身長を高く感じるようになっていました。

ところが、ベンチプレスの補助運動として、あるトレーニングを取り入れたところ、1年くらいで2㎝も身長が伸び固定化しました。
今では170㎝の人の背を高く感じません。

近いうちにそのトレーニング方を解説を交えて具体的に説明したいと思います。


  番組の収録がありました!
     
 侍 ジェイミー・ハバードさん
Mr ボビーのベンチプレスは強かった!
2020年2月18日、宮崎のテレビ局のよかばん!!という番組で、ボビーVS65歳猪須ベンチプレスの真剣勝負というものをやりました。
山中で薪割りをやって、その後疲れた体でどちらがベンチプレスが強いか、とことん対決をするというものです。
結局お互い160kgまで挙げて最後の165㎏は失敗ということで終わりましたが、本格的なベンチプレスの練習をしていないはずのボビーが
人生初と云いながら160kgを挙げてしまいました。

以前、格闘技で活躍していた姿を知っていますが、生で見たこの男の身体能力は凄いものがあると感じました。

65歳の年寄りを相手に本気で対決してくれたMr ボビーに感謝です!
 
第20回ジャパンクラシックベンチプレス選手権大会
(※カテゴリー マスターズ) 2019年11月30日(土)-12月1日(日)

トレーニングジムフリーウエイトからMⅢに2名出場しました。

男子83kg級MⅢ 南正覚雅士  142.5kg挙上 2位
男子83kg級MⅢ 猪須純一   150kg挙上  優勝
 
試合結果
 

ジャパンクラシック会場

   
このような狭い会場の全国大会は初めての経験でした。
全国大会ともなると大勢の選手やセコンドの方達などが集まります。広さにゆとりのある会場でなければ、
選手は落ち着いて試合に臨めません。

パンフレットでは2日間で289名の参加です。
最近ジャパンクラシックベンチプレスの出場選手は増えていますが、毎年会場か狭くなっています。
試合場もアップ場もかなり狭くトイレには常に順番待ちの選手が並び、用をたすにも大変な状況でした。

地方協会で個人ジム内開催の公式試合が増えないことを祈るばかりです。

※ウォーミングアップ場にあったベンチプレス台のバーベルラックの高さが試合で使われたベンチ台と違
 う。私は8番目のさで申告をしましたが、同じ8番目の高さでもアップ場(4台)のものは2~3㎝も高さが
 違いました。私だけではなく他の選手の皆さんも混乱していました。

 バーベルラックの高さを番号で表示することを止めて、全てのベンチ台を床からバーベルを載せるラック
 の実際の高さ(センチメートル)で表せば済むことです。

 ラックの数字は刻印を打たれており、技術的な面でセンチメートルへの変更が出来ないのであれば、数字
 の高さ (cm)を表した表を作り会場の壁等に掲示すれば良いと思います。


バーベルラックの高さ表示は番号ではなく、実際の高さで表示するべき!

 私の場合は92㎝の高さで設定をしています。

※ウォーミングアップ場のベンチプレス台(2台)のシートが斜めになってしまう。これには驚きました!ベン
 チ台にも構造上の問題がありそうです。

  自作未公認ベンチプレス台の詳しい情報です。
              
 動画    趣味で作ったベンチプレス台
 
ベンチプレス台は美しく強く安全で、機能性に富んだものを追求しています。

フレームを溶接する際、角の部分はできるだけRをつけ、見た目がカクカクからないようにしています。

材料は3.2㎜・4.5㎜がベースで超頑丈です。

セーフティーバーの長さは500㎜、床からバーベルシャフトまでの最低高さは570㎜または580㎜、
シートからの高さは130~140㎜です。これより低くは設定出来ないようにしています。ここは特
に大事なところで、命を守るために絶対に譲れない安全対策です。


セーフティーバーの高さ調整は2㎝単位で、瞬時に高さ調整が出来ます。
素早く調整できるセーフティーバー作りに拘っています。

バーベルラックの高さは1㎝単位と細かく、高重量のプレートを付けたままでもスムーズに調整出来ます。

ベンチプレス台は6分割又は7分割と、細かく分解することが可能です。


 フレーム角部分のRについて(溶接後の仕上げ)

予め、母材の接合部分を母材部と同等な品質・強度を確保するために、L型・V型等に開先を
取り(開先加工)溶接をします。

溶接後は、余盛りで出っ張っている部分を平になるまでサンダーで削り、仕上げていきます。

一手間も二手間もかけて美しく頑丈に仕上げます。溶接しっぱなしではありません!

良いベンチプレス台を作る為の条件

①溶接の技術(アーク・半自動・チグ溶接が完璧であること)

②サンダー仕上げの技術があること

③旋盤加工ができること

④塗装の知識があること

⑤ウレタンチップの加工(正確な切断やR面取り)・ビニールレザー貼りができること

⑥キャドで図面を描くことができ、材料の知識(強度や材質等)及び正確な
 切断や曲げ加工を鋼材屋に発注する能力があることが条件です。

勿論、溶接の資格は必須です!
曲げ加工や局面加工(R加工等)が出来なければ、フレームは既製品の角パイプのみを溶接して製作
することになります。

製作者にとっては、材料や製造コストを低く抑えるためには良いのですが、独創性のない在り来
たりのベンチプレス台になってしまいます。

現在こんなベンチ台を製作中です!
90%以上TIG溶接
 

 2019年宮崎県パワー&ベンチプレス選手権大会
  

2019年世界クラシックベンチプレス選手権大会結果

 
女子52㎏級一般    富山 春香      女子オープンへリンク
 
女子52㎏級ジュニア  宇都宮 真由     女子ジュニアへリンク
 
男子83㎏級MⅢ     猪須 純一      男子マスターズへリンク
 動画

2019年 世界クラシックベンチプレス選手権大会

     

2018・2019年 世界クラシックベンチプレス選手権大会 フィンランド/日本
83kg級MⅢ優勝争いです。
 
2018年5月フィンランド ヴァンター   
画像をクリックすると動画が始まります


2018年と2019年の世界クラシックベンチプレス選手権83kg級MⅢの優勝争いの動画です。
2018年に続いて2019年も、ドイツのハインリッヒデドリフという強い選手と2年連続優勝争いとなりました。
現在、60歳代で160kg前後の重量を挙げる選手は、この選手以外他にはいないので油断できませんでした。
     
2019年5月日本 成田 
日本大会
2019年5月18日世界ベンチプレス、クラシック部門男子83kg級MⅢで世界記録を僅かに更新 
動画で頑張れを連呼しているのは、応援に来てくれた3歳になる孫の女の子です!

ベストリフター M3全階級で2位にランクイン (IPFのホームページより)
1位 Mentel Stanislaw   Poland   105kg級   検量99,58㎏  192,5㎏挙上   ポイント693,7931
2位 Isu Junichi      Japan   83kg級   検量82.65㎏  163kg挙上    ポイント665,0445
3位 Heinrich Detlef   Germany  83kg級   検量80.35kg  157.5kg挙上   ポイント655,7021
3位のHeinrich Detlefは昨年に続き私と優勝争いをしたドイツの選手です。 

表彰式
表彰式のタイミングが分からなかったのか、2位のドイツ選手が不在の為寂しい表彰式になり
地元のマスコミに表彰式の写真を提供することができませんでした。

表彰式は勝者を称えるだけでなく、表彰台の選手全員を輝かせるためのものでなければならないと思います。
応援してくれた子供と孫達
     
頑張れを連発していたペコちゃん似の孫娘、大柄で活発に動き回っています。現在5歳
      
この子も大柄です。
  
   
  
 遠い昔の写真

父親(長男)は130kg以上の巨漢です!
体重をどげんかせにゃいかん!!
(宮崎県北部では、どんげかせにゃいかんと言います。)

小さい頃は可愛かった長男、今では当時の面影は全くなくなってしまい巨大なオヤジとなりました。

幼い長男を連れて、全九州ベンチプレス大会(北九州市戸畑体育館)に親子二人で出かけていたことを思い出します。
  
 
 
もう一人の孫娘、(いとこ)
生後8ヶ月のとき、明石家さんまさんにテレビ番組の中で抱っこされたことがあります。

3歳になったばかりの時、ボビーオロゴンにも抱っこされました。

大食漢で、良くしゃべる超ひょうきんな女の子です。

この子もベンチプレスの真似をして応援してくれました。
 


 
   
ふたりとも体が柔らかい!
2021年8月、2年振り3回目の対面を果たした いとこ
普段は遠く離れて暮らしています。

久し振り親の実家に帰り、3日間食事も風呂も一緒に入り仲良く楽しく過ごしました。
コロナは恐ろしいですが、国が感染爆発のリスクを犯し大運動会で世界中から多くの人を集めているので、
自身の判断で安心安全な帰省に向けて全力で取り組んだ帰省です。(車を使用)
 
 記録認定証



2019年 世界クラシックべンチプレス 日本開催
162.5kg→163kg

2024年4月現在世界記録M3


2019年 世界クラシックべンチプレス 日本開催
162.5kg→163kg

2024年4月現在アジア記録M3


2018年 世界クラシックべンチプレス フィンランド開催
148.5kg→162.5kg

世界記録M3


2018年 世界クラシックべンチプレス フィンランド開催
131kg→162.5kg

アジア記録M3


2018年 世界クラシックべンチプレス フィンランド開催
?kg→162.5kg
  アジア記録M2
 この時は50歳代のアジア記録も更新していたようで
M2の記録認定証も頂きました!

 
2014年 第15回ジャパンクラシックベンチ つくば市開催
152.5kg→165kg


2019年 第19回ジャパンクラシックベンチ 堺市開催
165kg→166kg

5年振りに記録を更新することが出来ました。
2021年3月28日
第21回ジャパンクラシックベンチプレス
牛島選手170㎏で日本新記録です。

 2019 ジャパンクラシックシックベンチプレス選手権大会 
女子57㎏級一般 富山


https://www.youtube.com/watch?v=QyuvoKoJ1Yk&t=
画像をクリックすると動画が始まります!

2019 ジャパンクラシックベンチプレス選手権大会  
男子83㎏級MⅢ 猪須


https://www.youtube.com/watch?v=rhrX1Eim8kk
画像をクリックすると動画が始まります!

     
  
宮崎県の片田舎の小さなジムですが、皆さんよく頑張りすごい結果を残したと思います。 
                 第1試技  第2試技  第3試技   結果   順位  
宇都宮  女子52㎏級ジュニア  60×    60〇    62.5×  60㎏   2位  
富山   女子57㎏級一般    92.5〇   95〇   100×   95㎏   2位   女子全階級87名中 フォーミュラー係数4位
猪須   男子83㎏級MⅢ    157.5〇  166〇   170×   166㎏   優勝 83㎏級MⅢ 日本新記録  MⅢ全階級フォーミュラー係数1位 優秀選手賞
南正覚  男子83㎏級MⅢ    130〇   137.5×  137.5×   130㎏   6位
黒木   男子83㎏級MⅠ    140〇   150〇   155×    150㎏   ー


右側の方は、何度も世界チャンピオンになられたミスターベンチプレスこと大谷進さんです。
大谷さんは国内の試合では負けたことがない選手で、私にとって雲の上の人でした。

写真は1999年第11回全日本ベンチプレス選手権大会(岡崎市)でのショットです。大谷さんは82.5㎏級で優勝、私は
90㎏級で2位でした。20年も時が経つとこんなにも変わるんですね、私の頭は無残にも禿げてしまいました!

1997年 山口県防府市で行われた第8回全日本ベンチプレス選手権で、当時負け知らずの大谷さんの階級、75㎏級
に体重を落とし挑戦をしたことがあります。結果は2位でしたが、大差をつけられてこてんこてんにやられてし
まいました。あれから22年、再挑戦させていただきました。

 大会前
 トレーニングジムフリーウエイトから男子5名、女子2名の選手がエントリーしました。
 私(猪須)は減量の失敗を繰り返して、念願の74㎏級で試合に出場することができず、参加標準記録がとれませんでした。
 仕方がないので、今回も83㎏級M3で参加します。自己新記録を目指して頑張りたいと思います!
 宮崎県全体では、10名の選手が参加するようです。


ジムの女子選手 右52㎏級Utsunomiyaと57㎏級の第16回ジャパンクラシックベンチプレスの覇者Harukaです。
UtsunomiyaはH29年8月からジムに通い始め、僅か8ヶ月後のH30年4月にベンチプレス宮崎大会に出場しました。
結果は47㎏級で宮崎県の新記録となる52.5㎏を挙上。

入会当時は20㎏のバーベルシャフトを1回挙げるのがやっとのweakuな女性でしたが、ベンチプレスには大会があり
、頑張って強くなれば世界大会まで道は繋がってい
ると云う私の言葉を信じて、ハードな練習を積み重ね短期間で50㎏を突破することができました。

Harukaの方はトレーニング外で肩や腰を痛めてしまうアクシデントが続き、思うようにベンチプレスの練習を行うこと
が出来なかったのですが、試合が近づくに連れて調子を上げています。今までのフォームは昔の私と同じで、力に頼った
パワーベンチプレスでしたが、最近、新たに取り入れた補助運動でフォームを劇的に改善することが出来ています。

私の予想では必ず優勝争いに絡むはずなので、女子57㎏級は面白くなると思います。(現在オリジナルの新たな補助運動用の
専門器具を2種類製作中です。)
 
大会スケジュール

 1月19日(土) 女子全て・男子74㎏級まで
 1月20日(日) 男子83㎏級~120㎏超級
   
 2018世界クラシックベンチプレス選手権大会/フィンランド 
 
2回目の試技世界記録162.5㎏
   
83㎏級M3 試合結果 PDFファイル
試合
 今年の世界クラシックベンチプレス選手権大会83M3は、201874㎏・83㎏級の覇者や世界記録保持者、更に世界ベンチプ
レス
(フルギア)2016.74㎏チャンピオン201783㎏世界記録保持者達の世界クラシックへの転向組等が世界記録更新を狙ってエ
ントリーするという今までに無い高いレベルの戦いとなりました。

 検量時の選手の体を見ると、とても60歳代に見えない筋肉隆々とした若い体の持ち主ばかりで、体だけを見ると2030代にし
か見えない信じられないほどの若さを保っている人もいて、
60代の人間としては今までに見たことの無い張りのある体の持ち主
ばかりでした。ただ残念なことに私同様の剥げ頭の選手が目立っていましたが、これは年齢を考えると仕方がないことなのかも
知れません。
試合は私の予想通り階級を上げてきたフルギア74㎏級2016年世界チャンピオンのハインリッヒデドリフというドイ
ツの選手と一騎打ちという形になりました。

 1回目の試技はお互いに世界記録148.5㎏を大きく上回る157.5㎏からスタートし、共に成功、体重は私の方が900g重いので、最終
結果が同重量では私の負けとなります。


 2回目の試技では、ハインリッヒデドリフが160㎏で申告したので、私はその上を狙い162.5㎏を申告、結果はお互いに成功、ここ
で私が一歩リードした。この時、私の結果を見たドイツの二人の選手とのセコンド二人が興奮して騒いでいた。


 3回目の試技は2回目に157.5㎏を成功させたポーランドの選手が163㎏を申告、勝負を賭けてきたが、この選手には163㎏は挙がら
ない重量だと確信していたので大丈夫だと判断していた。最後にハインリッヒデドリフが
165㎏を申告し逆転を狙ってきたが、事前
に可能な限りエントリー選手全員のここ数年の記録データを調べていたので、デドリフの
165㎏は失敗するのだろうと思っていた。
やはり私の思った通り
165㎏は潰れてしまいここで勝負は決まった。私は自己の日本記録165㎏更新を考え165.5㎏申告していたが試
技に緊張感が無くなり、おまけに痛めている右肩の不安が頭をよぎり、もう少しのところで
フィニッシュできず失敗、不甲斐ない
結果で終わってしまいました。これは今後につなげるためのこの大会での大きな反省点となりました。

 
 何はともあれ優勝することができ世界記録を獲ることがてきました。これは日本選手団長の鈴木さんから、椎木さんという超一
流のセコンドをつけていただき的確な判断の基で冷静に試合を進めることができたからだと思います。また事前にエントリー選手
全員のデータを、ネットで徹底的に調べ分析して各選手の能力を把握することができていたことも大きかったと思います。
 

  
猪須   2018年5月2

試合出発前

 いよいよノーギアの世界大会が近づいてきました。今年は世界38ヶ国から男子360名、女子208名、合計568名の選手がエントリーしています。
私の出場する83㎏級MⅢは最初のノミネートの15名から最終的に9名の選手の参加に変更されましたが、何れの選手もレベルが高いので驚いています。
世界記録の148.5㎏を上回る選手が4名もエントリーしていて、中には世界記録を大幅に上回る160㎏を挙げている選手もいます。カレンダーイヤー
64歳の私にとっては厳しい試合となりそうです。

 現在、20年以上前に痛めている持病の右肩痛が悪化しているのですが、薬のことが分からないので、病院にも行かずに痛みに耐えながら練習を繰り返
している状態です。肩の痛みさえ我慢できれば、調子は悪くても世界のトップクラスと互角に戦えるのではないかという気持ちはあるので、可能性に賭
けたいと思います。私の予想する今回の優勝ラインは162.5~165㎏くらいになるのかなと考えています。

 長いベンチプレス競技の中で、私にとってノーギアベンチプレスの全盛時代は現在の階級83㎏に近い82.5㎏級(当時75・82.5・90㎏級で出場していた。)
では1991~2001年までの間でした。当時は170㎏~180㎏を挙げることができ、全国大会にもよく出場していました。年齢的には30代から40代の間がピー
クで20年ほど前のことになります。

 ここ数年、真剣に考えながら取り組んでいる私のテーマがあります。60代の私が、83㎏級で20年以上前の自分のピーク時代に近いノーギアベンチプレ
スで170㎏を目指すということです。今年で64歳になりますが、残念ながら未だに実現出来ないままです。恐らく肉体的な衰えのため、体力にかげりが見
え始めたのだと思います。自分にとっては、もはや不可能なことなのかも知れませんが、世界大会に向けてもう少し努力をしてみたいと思います。   猪須  

 2018 第19回宮崎県パワー&ベンチプレス選手権大会 (pdf ファイル)

2018 宮崎県第19回  パワーリフティング&ベンチプレス選手権大会 

   








大会を振り返って個人の選手登録料が2倍になった!¥5,000→¥10,000→¥8,000(2020年度から¥2,000値下げ)
 今年の宮崎県大会は参加選手が激減してしまいました。
 ベンチプレスとパワーリフティング選手の合計が昨年の34名から23名へと減り、パ ワーリフティングに至っては2名の参加しかありませんでした。
 
 原因は開催日時等も考えられますが、地方の大会なのに参加するための費用が高過ぎるということです。多くの選手は1年間を通して県大会のみの
 参加で終わりますが、試合に参加するためには個人参加の選手が14,500円、ジム所属選手でも9,500円もお金が必要となります。これでは、これか
 ら競技を始めようという方々が大会参加をためらってしまい断念されても仕方がないことだと思います。

 19年間大会を見守ってきましたが、大会へ参加するための登録費や参加費がえらく高くなってしまったなあという思いでいっぱいです。
 
 試合締切りまでに7名の方から大会に参加したいという問い合わせが私のジムにありましたが、参加費用を伝えたところ、いずれもキャンセルして
 しまいました。中には、宮崎市内のジムでトレーニングをされている方で、ぜひベンチプレスの大会に出場してみたいという若い女性もいましたが、
 費用の面で断念しています。

 結果的に、宮崎大会は選手が少ないことから、殆んどの選手がメダルを受け取ることの出来る競技性のない大会となってしまいました。
 因みに、県大会レベルの他のスポーツでは、参加した選手のほぼ全員がメダルをもらうことの出来る競技はありません。

以前はこんな方達もいました


 10年以上も前から大分県の北部から4~5名、60代を中心とする方々が毎年オープンの部に個人で参加されていました。
 年金で生活をされている方もいますが、その方たちが口癖のように言っていた言葉を思い出します。
 
「宮崎大会に出場することを目標に、1年間みんなで一生懸命トレーニングで汗を流し自分の記録に挑戦することを生きがいにしています。」

 200㎞も遠く離れたところから遥々と延岡市までやってきて、試合で精いっぱい頑張り達成感を感じながら、また来年もお願いしますと言い残して帰
 って行く姿が目に浮かびます。
 
 しかし昨年からその姿はなく今年もエントリー表には一人の名前もありませんでした。なんだか寂しく悲しい気持ちになるのは私だけでしょうか。

 ベンチプレスのトレーニングをしている方は沢山います。試合に興味を持っている方もそこそこいますが、費用の面でなかなか参加できない現実があ
 ります。本来マイナーなスポーツということを考慮するならば、大会参加の敷居は低くしなければなりません。
 
 気軽に参加できる環境をつくって選手を増やし、競技性のあるスポーツとして繁栄させなければ、明るいパワーリフティングの未来は見えてこないと
 いえるのではないでしょうか!       猪須 

  
   第16回
ジャパンクラシックベンチプレス選手権大会
2016年3月12.13日 高知市

 動画












春ちゃん全国大会を初出場で優勝しました。記録は92.5㎏、日本記録の100.5㎏は失敗! 
 南正覚雅士   83㎏級  120㎏ MⅢ2位
 猪須純一    83㎏級  150㎏ MⅢ優勝
  
 2015年宮崎県パワー&ベンチプレス選手権大会
女子57kg級の春ちゃんです!
 
大会の手伝いに来てくれたアームレス
リングヘビー級の岩永さん
 師匠の上野さんと2ショット
春ちゃんは2013年まで仕事の修行で大分市内に住んでいましたが、その間、体力をつける為に県
総合体育館でトレーニングに励んでいました。そこでベンチプレスを一から教えたのが大分市在
住の上野さんでした。

当時の春ちゃんは、練習で最高95㎏まで挙げるようになっていました。単身赴任中の私は、上野
さんと練習をする為にこの体育館に時々通っていましたので、その強さはよく知っていました。

上野さんから、春ちゃんが仕事の修行が終了し宮崎の実家に帰ったら、その時は私のジムで続きを
お願いしますと頼まれていましたので、日本一を目指してもう少し頑張ってもらいたいと思ってい
ます。 
 
 
                                  2015
 福岡県・大分県の皆さんとジムで合同練習後オジサン達に囲まれた春ちゃん!
 誤解するといけませんので、少し解説をします。私が無理にあぐらを組ませました! 
昔の写真コーナー  昔の写真コーナー  
ジムの代表  嫁さんに無許可で昔の写真を掲載!
 
   

家族みんなで大事にしていたバーニーズマウン
テンドッグ(雌)ですが、散歩の途中4歳で交通事
故に遭い死んでしまいました。昔はポインター
やポメラニアンも飼ったことがありましたが、
この犬が最後です。
 
41年前
 
 20歳を過ぎた頃撮影、当時の身長は170㎝で体重は51kgでした。40年後の身長167㎝、体重は不明
時が経ち随分と変わりました。私も頭の回りを中心に、大きく変わってしまいました。
 自作ですが、((+_+))これが昔の器具です!
 
   昔は知名度の低かったベンチプレス、それでもベンチプレスが強くなることだけを考えていた!
ベンチプレスで重い重量を挙げることが出来れば、体の見てくれはどうでもよかった。
上半身のトレーニングはベンチプレスだけしかやらなかった!

ジムに通い始めた2日目95kg、3週間後120kg、3ヶ月後140kg、半年後155kg、ここから1年
位伸びなくなってしまった!

3年でジム通いを止め、その頃知り合っていた全国大会を目指しているベンチプレッサー仲間(皆
ベンチプレス台を所有していた。)と持ち回りでトレーニングを開始した。

その後、メンバーの中の3人、矢野・井本・猪須(所属はバラバラ)が、全日本ベンチプレス選手権
一般で優勝することができました。みんな頭の中では、それぞれが日本一になることを夢見ていて、キ
チガイのようにトレーニングをやっていました。

サプリ
試合前のクレアチン以外は、殆んど摂取しないことに拘っています。
 バランスの良い食事を摂れ
ばそれで十分だという考え方です。

 

 
1999年7月31日、祭り延岡で行われた一般市民のベンチプレス大会
シーンです。
飛び込み参加で250名以上の方が挑戦され大変盛り上がりました。
(参加費無料)

因みにベンチ台は私の手作りで、超頑丈に製作しております!

自作ベンチプレス台

ベンチプレス台は
強ければ強いほどいい!


シートの長さ1,420㎜
幅は280㎜・300㎜・320㎜(交換可)


シートの高さを調整することが出来ました。
4本の自作アジャスターで、床より400㎜~450㎜
の高さで調整可能!
ベンチプレスの試合に出場するために、
ここまでやりました!
あくまでも趣味です。
 
1988年に製作のバーベルプレート元型

50㎜シャフト用に作った元型、これに砂の鋳型(いがた)を
作り溶かした金属を流し込む。

複製したプレートの仕上げは、誤差が±0になるよう秤を使っ
て旋盤で削りながら自分で重さを調整していた。

内径は50.8㎜です!

鋳造は業者に依頼し後は全て自作で、合計500kgくらいは作
ったと思います。(20kgプレートも作っていました。)
 
金属丸出しのプレートはジムには不向きなので、ほぼ全て
処分してしまいました。

ベンチプレスの試合を目標にしていたので、
どうしても誤差のない正確なプレートが必要でした。

昔の50㎜口径プレートの値段は28㎜口径のプレート
の2倍以上もかかったので、それならば自分専用のプレー
トを安くで作ればいいじゃないかと考え、1㎏単価¥250
で大量に作ってしまいました。

作ったプレートは2.5㎏・5㎏・10㎏・20kgの4種類で
約500kgです。

同時期に2,200㎜、20㎏回転式バーベルシャフトも6本
自作しました。べアリングを4個使い重量計算と微調整
リングを左右に打ち込み、重さは±0の制度です。

材料はS45C炭素鋼鋼材で強烈なローレット加工を
施しユニクロームメッキ仕上げです。


恐らく、自分専用のプレートとシャフトとベンチプレ
ス台を自作した選手はいないと思います。

 

82.5㎏級 175kg挙上 優勝  (3回目の180kg失敗)
第2回全日本ベンチプレス選手権大会 高松開催

第3回までノーギア大会でした。
1993年第4回の東京開催からフルギアが始まりました。
 
1994年第5回全日本ベンチプレス選手権大会後に写真撮影をお願いしたところ、快く受けていただきました。
1980・1986 JBBFミスター日本、2位7回他、国際大会で活躍されたボディービルダーの朝生さんです。超一流のボディビル選手ですが、パワーリフティング・ベンチプレスの全国大会にも参加をされていました。

私の記憶では、全日本ベンチプレス選手権の前身オールジャパンオープンベンチプレス大会(パワーハウス吉田氏主宰)82.5㎏級で何度も優勝しその後、全日本ベンチプレス選手権大会にも挑戦されていました。

2015年9月、私のトレーニング先輩伊東氏の紹介により、3人で北九州市の小倉で会食をする予定でしたが、知人の不幸の為、私が北九州に行くことが出来なくなり、直前にキャンセルをしてしまい申し訳なく思っています。ボディビルを極めた一流選手の、昔と今の話を聞くことが出来る大事な機会でしたので非常に残念でした。
国際大会
1982年アジアボディビルディング選手権男子85kg以下級優勝、1997年アジア・ミックスド・ペアボディビル選手権で優勝、1997年アジアボディビルディング選手権男子マスターズ優勝、1999年アジアボディビルディング選手権男子マスターズ70kg超級優勝、2002年アジア・マスターズボディビル選手権優勝。

       
アンドレザジャイアントのマネージャー“将軍KYワカマツ”こと若松 市政さんが家に遊びに来てくれました。
新日本プロレスでめちゃくちゃに大暴れしている頃の若松さんです。非常に真面目でやさしい方です。1990
 
 
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 岩崎先生の試合を初めて見たのは1989年、第3回アジアカップ(高松)が初めてでした。75㎏級の軽量の私にとって、ヘビー級の金城選手や小出選手とともに、もの凄いインパクトがあり、スケールの違いに驚きました。その後、全日本クラスの試合で日本記録を塗り替えた後の3回目のパフォーマンス試技で、会場を沸かせていた様子が目に浮かびます。
 
25年位前だったと思いますが、岩崎先生から購入させて頂いた競技用ベルトです。私に相性の良いベルトなので、試合はこの2本のベルト以外は使っていません!
私にとって試合の思い出が詰まった大事なベルトです。(現在はJPA未公認ベルトとなっています。)
   
 
 
   師匠の富永先生です


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  初対面は1989年第3回アジアカップで
  延岡のベンチプレッサー矢野さんから
  紹介して頂きました。
べンチプレス67.5㎏級の元世界チャンピオンです。国内の試合では20年以上負けた
ことがない選手でした。
58歳の最高齢で全日本ベンチプレス67.5㎏級の優勝を果たした方です。
ベンチプレスを強くするには、基本的に高重量をたくさん扱うことで、具体的には
1セット5回がやっと挙げられる重量をとことんやりこんで下さいと教えられました。

仕事は税理士事務所を開設していて、当時の全日本選手権は3月に行われていました
ので、多忙の中で試合に出場されていました。
先生の教えは、忙しいからと逃げたら駄目です。忙しい時ほど練習をしてください。
力と技術は普段の練習でつくり、忙しい時は精神面を鍛える絶好のチャンスと思って
、トレーニングに取り組んで下さいと教えられました。
他にもたくさん教わったことがありますので、機会をつくり少しずつ紹介したいと思
います。

1991年9月1日 富永先生に誘われて、第1回日本マスターズオープンベンチに福島県
いわき市まで宮崎県から遥々と出かけて行ったことがあります。
この大会にも岩崎先生が出場していまして、派手なベンチプレスで会場を盛り上げて
いました。

 
大会後のアトラクションで、主催者の大谷会長から岩崎先生と私にベンチプレス
120㎏を続けて何回やれるか挑戦して下さいと指名があり、試合後の疲れた体で私が
17回、岩崎先生が48回ほど挙げた記憶があります。
当初は岩崎先生が140㎏、私が120㎏で挑戦の指名でしたが、私の挑戦が終わった後に
崎先生が強引に120㎏に変更を要求して、同重量の挑戦となりました。

富永先生の教えを基本に

ジムでは強くなりたい人に限って、ベンチプレスは7回を目標に5~6回挙げられる重
量を5セット、トータル12セット以上、(20㎏のアップからスタートしたものも含め
て)の練習を勧めています。
結果として、延岡の田舎の小さなジムでも、22年間に92名の方がしっかりとしたフォ
ームで100㎏以上挙げることができました。

富永先生の著書に
人生苦あれば楽あり ある税理士のパワーリフティ
ング健康法
があります。
 

金城選手
1989年第3回アジアカップオープンベンチ
プレス選手権大会
110㎏級で現在のノーギアベンチプレ235㎏
挙上。
特別試技240㎏は中尾先生の指名を受けての
挑戦でしたが、惜しくも失敗でした。


金城選手は全身が分厚い筋肉で、バランスが取れた頑丈な体の持ち主でした。
ベンチプレスはあまりブリッジをしない方で、胸の中部から上部の間に下ろし確実に胸に止めてい
ました。
挙上距離もありましたので、大胸筋と肩を使った力ベンチだと私なりに分析をしました。
 
金城選手のベンチプレスを目の当たりにした私は、このフォームを研究すれば、重い重量を挙げる
ことができると勝手に思い込み、ブリッジに興味を持たずにひたすら肩を強化することに専念しま
した。

結果的に肩の強化が功を奏して素質の無い私にとっても、そこそこの重量を挙げることができたと
思います。(試合後、肩と上腕三頭筋を強化する為にベアリング入り28㎜径大型フレンチプレスバ
ーを製作しました。
現在ジムで使用中のバーは、その後フリーウェイト顧問の上野さんから頂いた50㎜Φのハガネを用
いて、超大型フレンチプレスバーへと進化させたものです。)

  
回転式50㎜径超大型フレンチプレスバー、20㎏と17㎏があります。
写真をクリックすると画像が変わります!
ベンチプレスのブリッジについて 
ブリッジを作るということは、身体が反るということで、バーベルを下ろした時にバーが身体に早
く触れるため、扱う重量が重くできるということにつながりますので、多くの方がブリッジフォー
ムを研究し競技力向上に向けて実践しているようですが、私の考えは、そんなにブリッジをしなく
ても肩と胸を強化すれば、ある程度の重量は持てると確信していますので、私はブリッジの少ない
フォームでトレーニングを行い試合に出場してきました。

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